「神州の泉」ブログ

植草一秀氏に関する冤罪事件に詳しい記事を載せている

ブログ「神州の泉」の更新が2月4日の

「副島隆彦氏が暴露した、小沢氏攻撃を仕掛ける米国人、

及びその手下である日本人売国奴たち」


で終わっている。

高橋博彦氏は今、如何しているのか心配である。

誰か事情を知っていれば教えてほしい。



植草事件に限らず、

事の本質を適格に捉えた「神州の泉」ブログは読む人に勇気を与える。

検察と民主党幹事長小沢一郎の闘いが始まったと思いきや、

小沢一郎不起訴で結末を迎えた。

何か釈然としない結末だと感じる人が多いと思う。

それはマスコミが小沢一郎を悪人扱いした一方的な報道をするから、

新聞、テレビなどだけ観ている人は、

検察が追求不足ではないかという意識にさせられてしまうのだ。

もともと無理筋の事件性のないものを「でっちあげ」たという、

ネット情報が真相に近いのではないだろうか。



説明責任という言葉をマスコミは繰り返すが、

それは報道に間違いが合った場合にも明確に何度も説明すべきだ。

自分の間違いは適当に誤魔化したまま、

小沢一郎だけに説明責任を求めるのは公平ではない。

説明責任は権力を行使することによって、

人権を踏みにじる恐れのある検察側にこそあるのではないか。

社会的に影響力のあるマスコミが真相を伏せて、

恣意的な報道を繰り返している限り、

この日本には民主主義は実現しない。



昨日、「民主主義が一度もなかった・日本」

(宮台真司・福山哲郎共著、幻冬舎新書)を買った。

帯には次のように書かれている。

「09年8月30日、日本に革命が起こったことを国民は気づいていない。」

戦後60数年も殆ど一党独裁体制で国がやってきたため、

何時の間にか国に任せておけば何とかなると、

思考停止の状態にされてしまった。



誰かがやってくれると思い、甘えと怠惰で思考停止してしまったのではないか。

その影響で国民が選んだ政権が出来たにも関わらず、その政権に力を貸すこともせず、

物足りない、なにか政権担当能力が無いなどとマスコミが煽る宣伝に載せられて、

国民が作った政権の足を自ら引っ張っているのではないかとも思う。



前政権時代にもあった「状況が変われば、仕方がないこともある」

と受け入れた寛容な気持ちを、

この際、民主党連立政権にも示してもらいたい。

山頂を目指すには真っ直ぐに登れば無理が祟る。

遠回りして無理をせず、能力に応じて進めればいいのだ。

急ぐためには支援しなければ倒れてしまうのは必定だ。

倒れてしまえば元の木阿弥になり、

国民主権などとても実現できないし、

その国民主権を貫く意思がないのなら、

不満を言える義理などないはずだ。



「民主主義が一度もなかった・日本」を今から読んで見たい。

何が書いてあるのかわくわくする。

「小沢VS検察」の構図で森田実氏の言う、

小沢一郎が勝てば小沢ファッショになり、

検察が勝てば検察ファッショになるという言葉が間違いであってほしい。

国民が主人公の政治が実現するかどうかの瀬戸際の攻防なのだと信じたい。

報道の裏側を見なければ騙されること請け合いだ。








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