抵抗勢力からの日本の独立戦争?
おやっと思うが簡単に受け入れられる言葉ではない。
しかし、もしかしたら現実なのかもしれない。
そんな予感がする表現である。
昨日18付けの文芸評論家の山﨑行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記』に載ったテーマだ。
(参照:http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20100118/1263768735)
山﨑氏は記事の中で指摘する。
(貼り付け)
政権交代とは、権力構造に革命的な変動が起きるのは当然のことなのだから、
その権力構造の変動を恐れ、
それを妨害しようとする旧勢力と激突するのは当然のことであって、
その時、「指揮権発動」の権限を有する法務大臣の役割が重要になることは自明である。
政権交代という革命的権力構造の変化を防衛するのは、法務大臣の役目である。
何故、「小沢一郎」が狙われるのか。
それは、「政権交代」と「民主党政権」の誕生による新しい権力構造の根幹に「小沢一郎」がいるからだ。
「小沢一郎」は「政権交代」と「民主党政権」を象徴する政治家なのであって、
「小沢一郎」が潰されることは「政権交代」と「民主党政権」の誕生によって確立されようとしている新しい権力構造が潰されることなのだ。
(貼り付け終わり)
法務大臣の指揮権発動は機を見ているのかも知れない。
女性だから、平和裏に解決しようと考えているのかも知れんのだ。
だから躊躇しているのか。
山﨑氏は続ける。
(貼り付け)
東京地検特捜部を中心とする「旧勢力」が、
死に物狂いの抵抗と反抗をしてくることはあらかじめ予想されたことで、
そういう緊急事態の発生は何も驚くに値することではなく、
むしろ、その抵抗と反抗に敢然と立ち塞がり素早く対抗措置をとるのが、
法務大臣に課せられた任務のはずである。
(貼り付け終わり)
昨晩(18日)の「フォーラム神保町」主催の「小沢一郎・検察問題」シンポジウムに
参加した講師たちの検察批判が的を得ていたことを書いている。
そこでの話の中身は、ほぼ全員が「検察の暴走」批判、「リーク報道」批判だったという。
(貼り付け)
検察官も、ジャーナリスト等も、「エリート軍団」を自称したいのならば、
墓穴を掘らないためにも、マンガ右翼やネット右翼等の応援のシュプレヒコールに、
ビルの窓から手を振るような、安っぽい「正義の味方」的メロドラマに満足せず、
哲学書や古典を読むことによって頭をブラッシュ・アップして、
日本国民の知的レベルに相応しい検察官僚に成長してもらいたいと思う。
東京地検特捜部は、「石川代議士に自殺のおそれがあったので身柄を拘束した」
といっているらしいが、これは検察のリーク情報で、
明らかに真っ赤なガセネタだったことが判明しているが、
ということは、正確に言うならば、今となっては「自殺の恐れ」があるのは、
血迷った末に大失態を演じてしまった東京地検特捜部の検事たちの方ではないのか。
とりわけ、「特捜部長・佐久間キャメル氏に自殺の恐れあり」(笑)ではないのか。
(貼り付け終わり)
と検察の失態を見抜いているのだ。
我々一般国民は政治家の一挙手一投足にケチをつけつことが果たして正しいのだろうか。
間違いは誰にもありうることだ。
「小沢一郎が極悪人だと印象付けているのではないか?」とマスコミ偏向報道には感じる。
小沢一郎が清く正しいだけの人間ならば、幹事長など出来る訳がないだろう。
そんなことは周知のことである。
しかし今、小沢一郎は政権交代させた重要な責任者であり、
参議院でも民主党を勝利させるにはなくてはならない最重要人物であるのは間違いない。
また、『鳩山総理「どうぞ闘ってください」は正論なり』
と書いた植草一秀の『知られざる真実』にもあるように
(参照:http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-b02f.html)
鳩山総理が小沢一郎民主党代表周辺に対する検察当局の捜査に関して、
「全面的にしっかり対決してゆく」としたことについて、
「どうぞ闘ってください」と発言したことをメディアと野党が批判しているが、
鳩山首相発言に問題は何もないと思う。
これを針小棒大にマスコミが一斉に非難報道することは何か不自然であると国民は知っている。
少なくとも政権交代が近づいた頃からの徹底した偏向報道は既に見抜かれていることを知るべきだ。
強制的な逮捕をすれば少しは参議院選挙への影響も出るだろう。
しかし、大きく自民党政権に戻るとは思えない。
しからばどうなるかと言えば田中良紹の「国会探検」が
(参照:http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2010/01/post_205.html)
成熟政治と未熟政治というテーマで書いているように、
(貼り付け)
私は「政治とカネ」の話を聞く度にこの国の民主主義の幼児性を痛感させられる。
私が知る限り先進民主主義国で政治家に求められているのは「悪人であること」である。
何故なら国家の富を狙う他国から国家と国民を守るため、
「騙し」や「脅し」が出来ないようでは安心して政治を任せられないからである。
国民の暮らしを守り、外国と渡り合える力を持つ政治家なら、
多少のスキャンダルなど問題にしない。それが「成熟」した国の考え方である。
政治家に十分な政治活動費がないと自分で情報を集める事が出来なくなる。
無料で情報を提供してくれるのは官僚だけだから、
カネのない政治家は官僚に頼るようになる。
その結果、官僚に都合良く洗脳される。
自分でカネを集める能力のない政治家も官僚に頼るようになる。
官僚には企業や団体の許認可権があり、
官僚が口を利けば企業や団体はパーティ券を買ってくれる。
一方で自分でカネを集める政治家は官僚の思い通りにならない。
官僚にとって好ましからざる政治家と言う事になる。
そうした政治家がこれまで検察とメディアによって血祭りに上げられてきた。
07年の参議院選挙で自民党が惨敗したとき、
私は参議院の過半数を失った自民党は挽回を図るために、
国民の支持を得る努力より、
民主党のスキャンダル追及に全力を上げるだろうと予想した。
大連立を模索した福田政権にはスキャンダル爆撃の可能性はないが、
麻生政権の誕生と共に小沢代表潰しのスキャンダル攻撃が現実になると予言した。
政権交代が実現してからは、
自民党に選挙で勝てる可能性は消え、従って再びスキャンダル攻撃が始まる。
それは鳩山総理と小沢幹事長の分断を狙うと見ていた。
それにしても最高権力者とされる総理にも、
政権政党にも何の権力もないことがよく分かる。
先進民主主義国では政権を巡る戦いを権力闘争と言うが、
この国では与野党の戦いより、
官僚やアメリカと政権政党との戦いの方が本当の権力闘争なのである。
つまり日本の権力は政党や政治家ではなく、
未だに官僚とアメリカに握られているのである
(貼り付け終わり)
まだまだ日本は政治的には途上国だと言うのである。
真実を突かれたようである。
国民が政治に関心を持たないと何時まで経っても、
日本国憲法は絵に描いた餅であり、役立たないのだと思う。
真の国民主権を実現するために小沢一郎が勝ち抜くことが必要だと思うのだ。
一人で闘わしてはならない。
国民が選んだ民主党連立政権は一枚岩になって、
今回の小沢一郎周辺に対する理不尽な強制捜査と不当逮捕事件に立ち向かわなければならないと思う。
ネットで事の真実を詳しく書いている識者の勇気を讃えたい。
ネット記事にも不適正なものも多いことは確かだが、
大手のマスコミ偏向報道が捻じ曲げた報道を繰り返している現在では、
その他情報を観てから事の真相を判断しなければ実態は分からない。
それにはフリー・ジャーナリストの高橋清隆氏のHPが参考になる。
(参照:http://blog.livedoor.jp/donnjinngannbohnn/)
彼は「偽装報道を見抜け!」の著者だ。
(参照:https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/51lI%2BkjqxSL._SL160_.jpg)
そこには冤罪事件も書かれている。
刑事事件の実に98%以上が有罪だと言うことを知り驚くはずだ。
ひとつだけ、明らかになったことを挙げておく。
インフルエンザ・ワクチンの過剰報道のことだ。
ワールド・ブロガー協会主催で昨年10月10日、
東京都内で「ワクチン接種の危険性とインフルエンザの誇大宣伝の実態」をテーマに取材会があった。
(参照:http://www.worldblogger.net/)
そのときの講師、母里啓子医師と山本英彦医師はインフルエンザ・ワクチンは危ないと警告していた。
それにも関わらず、当時の政府とマスコミはインフルエンザが危険だと過大に宣伝して国民の不安を煽った。
それが日本の報道の現実なのだ。
本当に怒りが湧くことばかりである。
そのインフルエンザ・ワクチン報道が誇大宣伝だったことを裏付ける記事がでた。
田中宇氏の記事である。
2010年1月12日付けの「インフルエンザ騒動の誇張疑惑」という記事だ。
(参照:http://tanakanews.com/100112flu.htm)
先の母里啓子医師と山本英彦医師の記事と比較してみて欲しい。
嘘報道の実態が分かると言うものだ。
日本国の支配者は官僚だけではない。
国民が主人公だと憲法が保障している。
主人公は国民が選んだ国会議員であり、
その内閣が代理すればいい。
官僚は国民の公僕でいいではないか。
国民主権の実現を阻害する勢力が、
それこそ本当の抵抗勢力だと思うが。
しかし、もしかしたら現実なのかもしれない。
そんな予感がする表現である。
昨日18付けの文芸評論家の山﨑行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記』に載ったテーマだ。
(参照:http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20100118/1263768735)
山﨑氏は記事の中で指摘する。
(貼り付け)
政権交代とは、権力構造に革命的な変動が起きるのは当然のことなのだから、
その権力構造の変動を恐れ、
それを妨害しようとする旧勢力と激突するのは当然のことであって、
その時、「指揮権発動」の権限を有する法務大臣の役割が重要になることは自明である。
政権交代という革命的権力構造の変化を防衛するのは、法務大臣の役目である。
何故、「小沢一郎」が狙われるのか。
それは、「政権交代」と「民主党政権」の誕生による新しい権力構造の根幹に「小沢一郎」がいるからだ。
「小沢一郎」は「政権交代」と「民主党政権」を象徴する政治家なのであって、
「小沢一郎」が潰されることは「政権交代」と「民主党政権」の誕生によって確立されようとしている新しい権力構造が潰されることなのだ。
(貼り付け終わり)
法務大臣の指揮権発動は機を見ているのかも知れない。
女性だから、平和裏に解決しようと考えているのかも知れんのだ。
だから躊躇しているのか。
山﨑氏は続ける。
(貼り付け)
東京地検特捜部を中心とする「旧勢力」が、
死に物狂いの抵抗と反抗をしてくることはあらかじめ予想されたことで、
そういう緊急事態の発生は何も驚くに値することではなく、
むしろ、その抵抗と反抗に敢然と立ち塞がり素早く対抗措置をとるのが、
法務大臣に課せられた任務のはずである。
(貼り付け終わり)
昨晩(18日)の「フォーラム神保町」主催の「小沢一郎・検察問題」シンポジウムに
参加した講師たちの検察批判が的を得ていたことを書いている。
そこでの話の中身は、ほぼ全員が「検察の暴走」批判、「リーク報道」批判だったという。
(貼り付け)
検察官も、ジャーナリスト等も、「エリート軍団」を自称したいのならば、
墓穴を掘らないためにも、マンガ右翼やネット右翼等の応援のシュプレヒコールに、
ビルの窓から手を振るような、安っぽい「正義の味方」的メロドラマに満足せず、
哲学書や古典を読むことによって頭をブラッシュ・アップして、
日本国民の知的レベルに相応しい検察官僚に成長してもらいたいと思う。
東京地検特捜部は、「石川代議士に自殺のおそれがあったので身柄を拘束した」
といっているらしいが、これは検察のリーク情報で、
明らかに真っ赤なガセネタだったことが判明しているが、
ということは、正確に言うならば、今となっては「自殺の恐れ」があるのは、
血迷った末に大失態を演じてしまった東京地検特捜部の検事たちの方ではないのか。
とりわけ、「特捜部長・佐久間キャメル氏に自殺の恐れあり」(笑)ではないのか。
(貼り付け終わり)
と検察の失態を見抜いているのだ。
我々一般国民は政治家の一挙手一投足にケチをつけつことが果たして正しいのだろうか。
間違いは誰にもありうることだ。
「小沢一郎が極悪人だと印象付けているのではないか?」とマスコミ偏向報道には感じる。
小沢一郎が清く正しいだけの人間ならば、幹事長など出来る訳がないだろう。
そんなことは周知のことである。
しかし今、小沢一郎は政権交代させた重要な責任者であり、
参議院でも民主党を勝利させるにはなくてはならない最重要人物であるのは間違いない。
また、『鳩山総理「どうぞ闘ってください」は正論なり』
と書いた植草一秀の『知られざる真実』にもあるように
(参照:http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-b02f.html)
鳩山総理が小沢一郎民主党代表周辺に対する検察当局の捜査に関して、
「全面的にしっかり対決してゆく」としたことについて、
「どうぞ闘ってください」と発言したことをメディアと野党が批判しているが、
鳩山首相発言に問題は何もないと思う。
これを針小棒大にマスコミが一斉に非難報道することは何か不自然であると国民は知っている。
少なくとも政権交代が近づいた頃からの徹底した偏向報道は既に見抜かれていることを知るべきだ。
強制的な逮捕をすれば少しは参議院選挙への影響も出るだろう。
しかし、大きく自民党政権に戻るとは思えない。
しからばどうなるかと言えば田中良紹の「国会探検」が
(参照:http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2010/01/post_205.html)
成熟政治と未熟政治というテーマで書いているように、
(貼り付け)
私は「政治とカネ」の話を聞く度にこの国の民主主義の幼児性を痛感させられる。
私が知る限り先進民主主義国で政治家に求められているのは「悪人であること」である。
何故なら国家の富を狙う他国から国家と国民を守るため、
「騙し」や「脅し」が出来ないようでは安心して政治を任せられないからである。
国民の暮らしを守り、外国と渡り合える力を持つ政治家なら、
多少のスキャンダルなど問題にしない。それが「成熟」した国の考え方である。
政治家に十分な政治活動費がないと自分で情報を集める事が出来なくなる。
無料で情報を提供してくれるのは官僚だけだから、
カネのない政治家は官僚に頼るようになる。
その結果、官僚に都合良く洗脳される。
自分でカネを集める能力のない政治家も官僚に頼るようになる。
官僚には企業や団体の許認可権があり、
官僚が口を利けば企業や団体はパーティ券を買ってくれる。
一方で自分でカネを集める政治家は官僚の思い通りにならない。
官僚にとって好ましからざる政治家と言う事になる。
そうした政治家がこれまで検察とメディアによって血祭りに上げられてきた。
07年の参議院選挙で自民党が惨敗したとき、
私は参議院の過半数を失った自民党は挽回を図るために、
国民の支持を得る努力より、
民主党のスキャンダル追及に全力を上げるだろうと予想した。
大連立を模索した福田政権にはスキャンダル爆撃の可能性はないが、
麻生政権の誕生と共に小沢代表潰しのスキャンダル攻撃が現実になると予言した。
政権交代が実現してからは、
自民党に選挙で勝てる可能性は消え、従って再びスキャンダル攻撃が始まる。
それは鳩山総理と小沢幹事長の分断を狙うと見ていた。
それにしても最高権力者とされる総理にも、
政権政党にも何の権力もないことがよく分かる。
先進民主主義国では政権を巡る戦いを権力闘争と言うが、
この国では与野党の戦いより、
官僚やアメリカと政権政党との戦いの方が本当の権力闘争なのである。
つまり日本の権力は政党や政治家ではなく、
未だに官僚とアメリカに握られているのである
(貼り付け終わり)
まだまだ日本は政治的には途上国だと言うのである。
真実を突かれたようである。
国民が政治に関心を持たないと何時まで経っても、
日本国憲法は絵に描いた餅であり、役立たないのだと思う。
真の国民主権を実現するために小沢一郎が勝ち抜くことが必要だと思うのだ。
一人で闘わしてはならない。
国民が選んだ民主党連立政権は一枚岩になって、
今回の小沢一郎周辺に対する理不尽な強制捜査と不当逮捕事件に立ち向かわなければならないと思う。
ネットで事の真実を詳しく書いている識者の勇気を讃えたい。
ネット記事にも不適正なものも多いことは確かだが、
大手のマスコミ偏向報道が捻じ曲げた報道を繰り返している現在では、
その他情報を観てから事の真相を判断しなければ実態は分からない。
それにはフリー・ジャーナリストの高橋清隆氏のHPが参考になる。
(参照:http://blog.livedoor.jp/donnjinngannbohnn/)
彼は「偽装報道を見抜け!」の著者だ。
(参照:https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/51lI%2BkjqxSL._SL160_.jpg)
そこには冤罪事件も書かれている。
刑事事件の実に98%以上が有罪だと言うことを知り驚くはずだ。
ひとつだけ、明らかになったことを挙げておく。
インフルエンザ・ワクチンの過剰報道のことだ。
ワールド・ブロガー協会主催で昨年10月10日、
東京都内で「ワクチン接種の危険性とインフルエンザの誇大宣伝の実態」をテーマに取材会があった。
(参照:http://www.worldblogger.net/)
そのときの講師、母里啓子医師と山本英彦医師はインフルエンザ・ワクチンは危ないと警告していた。
それにも関わらず、当時の政府とマスコミはインフルエンザが危険だと過大に宣伝して国民の不安を煽った。
それが日本の報道の現実なのだ。
本当に怒りが湧くことばかりである。
そのインフルエンザ・ワクチン報道が誇大宣伝だったことを裏付ける記事がでた。
田中宇氏の記事である。
2010年1月12日付けの「インフルエンザ騒動の誇張疑惑」という記事だ。
(参照:http://tanakanews.com/100112flu.htm)
先の母里啓子医師と山本英彦医師の記事と比較してみて欲しい。
嘘報道の実態が分かると言うものだ。
日本国の支配者は官僚だけではない。
国民が主人公だと憲法が保障している。
主人公は国民が選んだ国会議員であり、
その内閣が代理すればいい。
官僚は国民の公僕でいいではないか。
国民主権の実現を阻害する勢力が、
それこそ本当の抵抗勢力だと思うが。
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